昭和45年1月21日  夜の御理解



 御理解61節に、「神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ」とあります。神より金光大神にいつまでも尽きぬおかげをと仰る。限りのないおかげ、ですから限りないおかげを頂くためには限りなく私達が、その、金光大神が残しておって下さるお話を繰り返し頂かなきゃならんという事が分かります。ああ、あの御理解は前に一遍頂いた事があるといったようなものじゃない。やはりあの、尽きぬおかげを、確かに私は思うんですけれども、おそらく私が今この教典を毎朝あのようにあらゆる角度から頂いておりますけれど、こりゃあもう何年したって尽きる事はなかろうと思いますね。もうその一つの事柄でも、一つの言葉からでもあらゆる角度から頂けるのですから、確かにもう尽きぬおかげを、尽きぬ話をというね、尽きぬ話を残しておって下さるのですから、その尽きぬ話を頂いて尽きぬおかげにつながる、尽きぬおかげをやはり頂かなきゃならないという事になるのですね。
 今日はあの、日田の綾部さんのご主人がお参りをして、昼、ちょうど下がってすぐ頃からちょうど四時の御祈念まで、四時の御祈念を頂いて帰られました。そしたら夕方また電話がかかってから、八時頃そちらへまたお参りさせてもらいますと、重大なお届けがあるからと言うわけなんです。私少し早かったけれども、八時前、七時半ぐらいから座らせていただいたんですけれども、そしたら先ほどから、娘さんと、それから番頭さんと連れてからお参りされまして、なるほど綾部さんにとってはまあ重大な問題らしいんですよね。ところがですね、そこへあの、事務所に着かれたと思うたと同時に全館がパーッと電気が停電になってしまったんですよ。まあそれから五分もしない内にまたつきましたけれども、私ここで座っておりながら思いましたですね、そういう一つの自然の(事情?)というかね、そういうような事でも、やはり、金光大神が残しておって下さる話の中に入る事だと思うんですけれども、確かに目の前が真っ暗になるような事だなと。けれどもね、ここへ、御初穂の整理をしてここへ、出てこれる頃には全館がパッと明るい、もうここへ来てお話を頂いた途端に心がパーッと、もう先生それを聞いてから、それ聞いてこれを頂いて安心したというてから、もう大変(極秘も極秘も?)、極秘な書類を持ってみえましてね、その事に対するお指図を頂きたいという事でございました。私は何がなにやら分かりませんけれども、それに対していろいろ右左の事頂かれて安心しましたという、その安心しましたがおかげにつながるんですよ。金光様の御信心というのは不思議な、話を聞いて助かると仰るが、しかもその話は尽きぬ、尽きぬ話であるのですから、私共がお話を頂いてから心に安心しましたというその、そういうものが開けてこなければおかげにつながらない。先生はそう言いなさるけれどもそんなわけにはいかんというような頂き方をしてはいけないところに信心の修行がいり、素直になる事に努めなければいけないといったような事になるわけです。それも私も、本当に大変なんですけれども、自信を持って御取次ができるんですよね。私その、家内が何か重大なお届け、ああやっぱり日田からですね、お参りしておってから帰ってまたすぐ来るっちゅうんですから、やっぱ何か問題があるとですよ。それで、重大問題ということだからどういう事だろうかと私は思うてね、★私もやっぱり不安になってから神様にお願いさせて頂いたらですね、あの、キリンビールの、ビールの(レッテルをこうとるところ?)を頂きましてですね、そしてその、このビールは何というビールか(レッテルがついてない?)から分からない。だから他の人には分からないけれども私には分かるわけなんですね。例えばならここにキリンビール、アサヒビール、サッポロビール、いろいろとこう並べておいてから、(レッテル?)をとってしもうでですね、私にどれがキリンですか、どれがアサヒですかと言ったら、私がもうすぐに、(?)聞いただけでより分けるでしょう。これは私がだいたい酒屋ですから、その事を身につけておりますからね、キリンが良いの、アサヒが良いのとみんな言いますけどね、実際レッテルとって飲ましたら誰も分かりゃしませんよ、実際はね。そんなんです。ですからその、私がそのお知らせを頂いてから、お前でなからなければできない事なんだ。キリンビールのそれを頂いてから思いました。私なら簡単に出来る。どんな難儀な問題とか、重大問題と言っておられるけれども、私の信心、御取次を頂かれたらこりゃすぐ解決する問題だなすぐ思いました。それで私自身も安心して綾部さんがみえるのを待っとったら、そういうような問題でしたけれどです、それこそ一言二言、本当に先生安心いたしましたという事なんですね。ですからもう確かに金光大神は、なら、一言二言のその話の中からでもです、相手に安心を与えにゃおかんという働き、同時にその金光大神のお手代わりをさせて頂いておる私にもです、そういう力を与えて下さっておって下さるという事なのですから、ここの話は案外おろそかに出来ないなと思います。ですからその、どこからなりとも何かを頂いて、心の中に、私先ほど、今日は(若柳会?)があっております。最近の若柳会は何とはなしにいきいきとしておるんですよね。みんな集まってきて、一人ひとりに私が、あんたあの、御神米は頂いておるかとみんなに聞くんですよ。みんな頂いてないんですよ。そげな事じゃね、先生が心配になるから(行ったら行ったら?)さっち持っとかにゃでけんよって、あんたのじゃない、先生が心配になるんだから、あんた達が御神米を頂いておるという事だけで先生が安心なんだから、御神米だけはしゃっち頂いときなさいよと、御神米を家においておるというような事じゃでけんと私が、頂いとかなきゃいけん、はあ御神米を頂いておる、その思いがもうここへ通じるんだと言って私は今日はみんなに言って下げさせて頂いたんですけれども、その、いうような事でもですね、例えば本当に、御神米を持っていないから私が不安だという事もまた事実ですけれども、それがひとつの話なんです。ああ御神米、金光様の御信心をさせてもらうなら御神米はいつも手放されないなあと、神様と共にいつも私があらなければいけないなあという、もうそれが教えになってるわけですね。それで、今日の皆さん、とりわけその事がみんなじゃったから、いろいろ感じただろうと思うんですね。いかに神様を日頃おろそかにしておるかというような事をね、神様に向かうてきておりながらでも神様を忘れておるといったような事ですから。そういう事の、例えば一言一言の中にでも、金光大神がいつまでも尽きぬおかげをと仰る話にしておくという話が、そういう中にもやはり話があるわけですよね。
 どうぞ。